忍者ブログ

セリフなし、5万回斬られた71歳「日本一の斬られ役」が堂々の映画初主演 - だっぢゅニュース

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2025.09.17|コメント(-)トラックバック(-)

セリフなし、5万回斬られた71歳「日本一の斬られ役」が堂々の映画初主演


 半世紀に及ぶ俳優人生の中で5万回も“斬られ”、「日本一の斬られ役」として名高い俳優の福本清三(せいぞう)さん(71)が初めて、映画に主演した。70代にして、ついに主役を射止めた映画は「太秦ライムライト」。昨秋に完成し、1月にテレビ版が放送され、6月から京都市などの映画館で劇場版が公開される。作品のテーマは「世代交代」だ。「自分が主演なんてありえへん」とオファーを固辞し続けたという福本さんだが、「やがて、自分も起用されなくなり、追いやられていくだろう。それでも、使ってもらえるまで役者をやりたい」と、初めての“大役”に臨んだという。

■ライムライトを太秦に

 映画「太秦ライムライト」は、喜劇王、チャプリンの銀幕デビューから100周年を記念し、「日本チャップリン協会」の会長で脚本家の大野裕之さん(39)が企画した。

 老芸人の悲哀と、若きバレリーナとの交流を描いたチャプリンの名作「ライムライト」のシナリオがベースだ。時代劇人気が下火となり衰退を続ける京都・太秦の俳優を主役とすることで、チャプリンの世界観が日本人にも通じることを知ってもらう狙いがある。大野さんは「100周年の節目の年にチャプリンの新たな魅力を発信したい」と語る。

 太秦ライムライトも、ベテラン俳優と若い新人女優との交流が題材だ。太秦の厳しい現状や、そんな中でも作品に情熱を燃やし続ける俳優らの姿を描き出した作品に仕上がっている。

■時代劇の盛衰見守った俳優人生

 福本さんは、太秦の盛衰を見てきた“生き証人”の1人だ。中学卒業後、故郷の兵庫県香住町(現香美町)を離れ、京都市内の米穀店で働いていたが、親類のすすめで16歳のときに東映に入った。

 当時、時代劇人気はピークを迎えていた。戦後、GHQにより製作が自粛されていたが、昭和26年に撤廃され、東映は「水戸黄門漫遊記」などの大ヒット作を連発していた。

 さらに、31年、京都撮影所に二条城を模した城郭の撮影地「東映城」を建設。「赤穂浪士」などを製作し、年間配収の最高記録を樹立した。「日本のハリウッド」と呼ばれた東映京都撮影所には、400~500人の俳優が所属していたという。

 ところが、テレビの普及により、映画の人気に陰りが出始めた。「宮本武蔵」(36~40年)、「十三人の刺客」(38年)などで気を吐いたが、観客数は減り続けた。

 映画の製作本数が減って生活が成り立たなくなり、東映京都撮影所にいた俳優たちは次々と辞めていった。

■斬られ役で“開眼”

 福本さんは下積み時代、身軽さが買われ、スタント役として起用されていた。殺陣(たて)は、入団後しばらくして撮影現場で先輩から教わったり、実戦を通して少しずつ覚えた。

 やがて、東映がテレビの連続ドラマに力を入れ始めた。昭和41年の「銭形平次」は、足かけ19年、放映回数888回の記録を打ち立てる大ヒットとなり、時代劇はテレビに生きる道を見いだした。

 その後も「水戸黄門」「吉宗評判記・暴れん坊将軍」など次々とヒット作が生まれ、福本さんは、時代劇への出演が多くなった。

 とはいっても、当初は斬られ役が中心の福本さんがカメラに写り込むことはほとんどなかったという。ある日、ぼーっと突っ立っているだけの自分に気がつき、必死に演技の勉強を始めた。

 斬られ役は、殺陣の素早い展開の中で、画面の端に、それも一瞬だけしか映らない。そんな中で、他の役者より目立つ演技を研究した。「自分が『痛い』と思うくらい本気で倒れないと人の心にぐっとこない」と話す。

 手応えをつかんだのは、往年の大スター、中村錦之助さんと共演したときのこと。中村さんに斬られて倒れ込んだところ、中村さんから「うまいな」と声をかけられた。「演技に正解はないけれども、中村さんに言われたら間違いない」と自信をつけた。

 以来、斬られ役一筋。「一生懸命やったら誰かが見ていてくれる。1人でも見てくれる人がいれば、本気で演技する」。それが信念だ。

■ラストサムライにも出演

 そんな迫真の演技が、次第に注目を集め、脇役にしては異例の人気を集めるようになった。新聞のコラムに紹介されたり、テレビの特集番組に出演、自叙伝の出版をしたことも。「テレビだと斬られ役が目立つ。毎週放送されて、毎回同じことをやるのだから」と笑う。

 米ハリウッド映画「ラストサムライ」には、トム・クルーズの警護役で、何を話しかけても答えない「寡黙なサムライ」役として出演した。せりふがないという難しい役だったが、独特の存在感で話題を集めた。

 そして、初めて主演を演じた「太秦ライムライト」。「自分が主演なんてありえへん」と何度も断ったというが、「京都発の映画を作って、日本中、世界中に売り出すことで、衰退を続ける京都の映画界に意味のある作品にしたい」という大野さんらの情熱にほだされた。

 福本さんは「『いつものようにやる』と監督たちには言っていたが、生まれて初めての主演だからプレッシャーでついカメラを意識してしまった」と照れ笑いする。

 老いた俳優が、新人の女優に殺陣を教える。次々と売れていく女優を見ながら、仕事のこない自分を省みて引退を悟り、身を引いていくというストーリーだ。女優に斬られ、倒れ込むラストシーンが、世代交代を象徴している。

 「身につまされるところがいっぱいある」と話す福本さん。時代劇の人気は下火になるばかりで、京都で製作する作品もすっかり少なくなり、仕事は減る一方だ。福本さんはこう語る。

 「やがて、自分も起用されなくなり、追いやられていくだろう。生涯現役でいたいといってもそうはいかない。それでも、使ってもらえるまで役者をやりたい」

PR

2014.04.22|コメント(-)トラックバック(-)
Copyright © だっぢゅニュース All Rights Reserved.
当サイトのテキストや画像等すべての転載転用・商用販売を固く禁じます
忍者ブログ[PR]