
<ダイキンオーキッドレディス 2日目◇8日◇琉球ゴルフ倶楽部(6,473ヤード・パー72)>
「ダイキンオーキッドレディス」の2日目を振り返る!
2012年にこの「ダイキンオーキッドレディス」で優勝、その美貌もあり一躍時の人のなった斉藤愛璃。しかし、その後は思うような成績が残せず昨年賞金ランキング89位でシード権を喪失。ファイナルQTでも48位と奮わず、この大会は主催者推薦での出場となったが、そのチャンスを活かし2日目が終わって首位と2打差の6位タイと好位置につけた。
斉藤はこの日1アンダー7位タイからスタート。前半で3つスコアを伸ばし折り返すが、11番パー5でティショットが右に曲がり痛恨のOBに。このホールは5オン2パットでダブルボギーとしてしまう。これで流れを断たれたかと思いきや、強風の中粘りのゴルフを見せ14番ではバーディを奪取。その後はピンチを迎えるものの、15番17番では2メートルの微妙な距離を沈めパーをセーブ。好調なショートゲームでピンチをしのぎ上位をキープした。
会見ではダボの後に「集中力を切らさずにゴルフができました。今までやってきたことを崩さないですんで良かったです」と満面の笑みを見せた斉藤。この日は午後に一時突風のような風が吹き、正午時点の風速は初日よりも強い11.1メートル。その中でダボから崩れなかったのは大きな収穫だろう。
2年前に優勝した時も最終日の出だしにダボを叩いたが「その時に気持ちを切り替えられた経験が今回も活きました」と話した斉藤。その年の1月に開催される「グアム知事杯」で2位に入ったが、今年も同じ2位となった。2位になると「悔しくてどうすればよいか1ヶ月ぐらい考えました。その悔しさから頑張れたのがありましたね」。ダボ、グアムで2位と「ジンクスじゃないけど、いい流れですよね」とツキは斉藤に味方しているようだ。
「優勝したい気持ちがあるので、その気持ちを忘れず最後まで諦めずにやりたいと思います」と明日の抱負を話した斉藤。上には昨季の賞金女王や韓国の実力者らが名を連ねているので、優勝への道は険しいものになるだろう。それでも、忘れられない思い出があるこの沖縄で輝きを取り戻すため、最後まで全力で戦いぬく。
(撮影:岩本芳弘)<ゴルフ情報ALBA.Net>
ソチ冬季パラリンピックは8日、ロシア・ソチで大会第1日が行われ、アルペンスキー男子滑降・座位で狩野亮(マルハン)が1分23秒80で優勝、今大会日本人初の金メダルを獲得した。また、3位に1分24秒75で鈴木猛史(駿河台大学職員)が入り銅メダルを獲得。バイアスロン男子7.5キロ・座位では久保恒造(日立ソリューションズ)が21分45秒6で銅メダルを獲得するなど、初日からメダルラッシュとなった。
狩野はスタートを取りやめた選手を含めて22人中10人が棄権する荒れたレースを冷静に滑り切った。コース序盤こそ、それまでのトップだったカナダ選手に遅れをとったものの、棄権者が多い状況に「緩斜面となる後半が勝負」と後半で巻き返した。
これで狩野は冬季大会として日本人初となる2大会連続の金メダル。滑降種目としても男子で初めての金メダリストとなった。「前回(バンクーバー)はがむしゃらに楽しんで滑っての金、今回は4年間、今大会を見据えて狙っての金メダル。今回の方がうれしいですね」と喜んだ。
そのほか、日本人選手の結果は、アルペンスキー男子滑降では立位の三澤拓(キッセイ薬品工業)が9位、小池岳太(セントラルスポーツ)は途中棄権、座位は森井大輝(富士通セミコンダクター)と夏目堅司(ジャパンライフ)が途中棄権した。一方、バイアスロン男子7.5キロ・立位は佐藤圭一(エイベックス・グループ・ホールディングス)が13位。女子6キロ・立位は太田渉子(日立ソリューションズ)が6位入賞、出来島桃子(新発田市役所)が8位入賞、阿部友里香(盛岡南高)は13位だった。
ロッキード・マーチンは3月6日、ユナイテッド・ローンチ・アライアンス(ULA)のデルタIVヘビーロケット用のブースターがケープカナベラル空軍ステーションに到着することで、オリオン宇宙船の最初のテスト飛行にさらに一歩近づいたことを発表した。
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このロケットは今年中に行われるオリオンの探求飛行テスト‐1の準備の為に、テストとULAの水平統合施設におけるプロセスが実施されることとなる。
技術者達は、ロケットが製造されたアラバマ州ディケーターに所在するULAの施設から、8日間をかけてフロリダに輸送を行った「デルタ・マリナー」と呼ばれる特別にデザインされた輸送車両からブースターを取り外した。
オリオンのテスト飛行の間、この乗務員を乗せていない宇宙船はデルタIVヘビーロケットによって打ち上げられ、周回低軌道を越える3600マイルを旅する。そして同日、オリオンは約2万マイルのスピードで地球に帰還し、太平洋に着水することとなる。
《レスポンス 河村兵衛》