ドラマデビューから42年のベテラン女優の音無美紀子さん(64)は、幼少の頃から“ちぃさん”にお世話になっていて…。
エースのジョーと呼ばれた巨人の城之内投手がうちの母の実家とお付き合いがあり、私が小学5年当時に巨人に入団され、「巨人の多摩川グラウンドに近い下宿を探してほしい」と母が頼まれたんです。私の家は久が原なので近所に部屋を見つけてあげたら、城之内さんの従兄弟にあたる、18歳の地井武男さんも同居し始めた。それから地井さんは時々、城之内さんと私の家にご飯食べにきて、すぐ仲良くなりましたよ。かわいがってくれましたから。私と妹を連れて地井さんの田舎に連れてってくれたこともあった。地井さんの家はトイレが家から離れてて夜に行くのが怖かったけど、「ついてってあげるから」と懐中電灯持って一緒に行ってくれるやさしいお兄ちゃんでした。
地井さんは私が16歳の時に映画デビューされ、「俳優だったんだ!」とはじめてわかった。
「実は私も女優になりたい」と打ち明けたら、劇団若草の先生を紹介してくれて、それがきっかけで私は芝居の世界に入ったんです。
■夫婦仲を認めてくれたのは結婚後30年
その後の地井さんの活躍は知らなかったのですが、ある日、アングラ芝居の自由劇場を見に行くと、吉田日出子さんや林隆三さんたちの中に地井さんがいた! 地井さんの芝居とその劇団に感動。当時、俳優座の15期生、夏八木勲さん、前田吟さん、小野武彦さんたちがいらして、演劇青年って感じでステキでした。後に結婚することになる村井(國夫)さんもいました。次の芝居も見に行った時、村井さんに一目惚れしてしまって…。
私のデビュー作「お登勢」(71年、TBS系)には地井さんと村井さんも出演していました。私は村井さんに折に触れ話しかけていました。そんな私に地井さんはただ一言、「村井だけはやめとけ」と。「お兄ちゃん心」で言ってくれてたと思います。
城之内投手が久が原に建てられた家での麻雀大会には野球選手や地井さん、村井さん、小野さんたち演劇人も集まってた。私は呼ばれると遊びに行き、村井さんの横にヒョコッと座ってる。女性は私ひとりだけ。「お登勢」の時から私と村井さんが仲良くなってたので、「街中をふたりでブラブラするより麻雀してるとこで会ってた方がいいだろう」と、そこがデートの場所でした(笑い)。
でも地井さんが村井さんとの仲を許してくれたのはずっと後。私たちの結婚後も地井さんとの家族ぐるみの付き合いは続いてましたけど、いつも「ミッコ、我慢しなくていいからね!(笑い)」と言ってくれてました。結婚30周年に夫婦で「徹子の部屋」に出た時、黒柳さんがサプライズで地井さんからの手紙を読んで下さいました。「2人の仲を認める。あいつもいい男になったし(笑い)」と半分シャレで書いてくださった。
■忘れられない大井川鉄道の思い出
地井さんが亡くなった時の、演劇仲間の落胆ぶりは大きかったです。私もつらかった…。最後に仕事でご一緒したのは、亡くなられる何年か前、大井川鉄道で私たち夫婦の旅に地井さんが加わってくるという旅番組。
その後も私生活でお会いしてましたけど、その旅は今も覚えてます。出会ってなければ女優として違う道を歩んでいたと思います。お世話になった方ですね。
▽おとなし・みきこ 49年12月、東京都生まれ。66年に劇団若草に入団。71年にTBSの連続テレビ小説「お登勢」主演。以降、「ありがとう」などホームドラマや大河ドラマ「おんな太閤記」はじめ多数出演。75年に俳優の村井國夫と結婚。現在は女優としての活動と併せ「音無美紀子の歌声喫茶」を被災地でのチャリティー公演として行っている。