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石田結実さん、老舗絵の具店「継ぐ」気はなく…家を出て働き得た教訓は - だっぢゅニュース

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2026.05.28|コメント(-)トラックバック(-)

石田結実さん、老舗絵の具店「継ぐ」気はなく…家を出て働き得た教訓は


 【新・関西笑談】老舗絵の具店「上羽絵惣」取締役・石田結実さん

 --「胡粉(ごふん)ネイル」には透明色以外のニーズもあったんですよね

 石田 最初は、透明色6千本を1年間で売り切るのが目標だったんですが、4カ月弱で売り切ることができました。お客さまからも「どうして(透明以外の)色がないんですか」という声はいただきました。その間もメーカーとやりとりはしていたので、2回目の発売のときには、臙脂(えんじ)や鶯緑(うぐいすみどり)など9色を出せました。

 --白いキツネが描かれたボトルのラベルもすてきですね

 石田 5、6代目が大正時代に商品の胡粉の箱に貼り付けていたラベルをアレンジしました。ラベルに対するお客さまの反応はよかったので、バブル崩壊後に「どうやって店を残そうか」と考えていたころから、このラベルを生かしたいと思っていました。

 --上羽絵惣のトレードマークなのですね

 石田 絵の具を買ってくれる画家さんたちにとっても印象的だったようで、店の名前は知らなくても「白狐の胡粉屋さんね」という風に覚えてもらっていました。

 --どうして白いキツネを描いたのでしょうか

 石田 ラベルを考えたのは先代なので、詳しいいきさつは分かりませんが、商売繁盛を祈願して、伏見稲荷(いなり)大社(京都市伏見区)に仕える白いキツネをモチーフにしたのでは、と考えています。

 --9代目社長の父、上羽久寿男(くすお)さんが病で倒れてからは、兄の豊さんが10代目社長を継ぎ、石田さんは取締役に就任しました

 石田 短期大学を卒業後は定職に就かず、コンパニオンやアルバイトなどをしていました。全日空のグランドホステスには内定したんですけど、「スチュワーデス(現キャビンアテンダント)になりたいんでいいです」って断ったんです。結局、スチュワーデスには受からなかったんですけど。

 --それからはどうしたのですか

 石田 結婚願望が強かったので、21歳のときに結婚して、店を手伝ってお給料をもらうという感じでした。バブルが崩壊し、店の経営が厳しくなったのですが、父は融通が利かなくて意見が食い違うようになり、実家を出る決心をしました。家を出てからは、市場で野菜を取引する仕事などをしました。周りは男性ばかりで、取引先から「野菜届いてへん」「なにやってんねん」と怒鳴られたこともありました。

 --何年ぐらい家を出ていたのですか

 石田 5年くらいですね。市場で働いたほかにも、食材の宅配サービスの仕事もしました。今までぬるま湯につかっているような人生だったので、その日与えられた仕事をこなすことや、踏ん張ってやればなんとかなるということを学ばせてもらいました。そうしたときに父が倒れ、実家に戻ることにしました。

 --若いころから「家業を継ごう」とは考えていなかったのですか

 石田 そうですね。あまり重要視はしていませんでした。周囲からはよく「老舗だから跡継ぎが大変でしょ」なんて言われたんですけど、父からは跡継ぎのことをあまり言われなかったですね。(聞き手 小川原咲)

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2014.03.27|コメント(-)トラックバック(-)
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