
【クアラルンプール(マレーシア)】1人は若い有能なパイロットたちを引き連れてバーに出かけるようなベテランで、カラオケでは「ホテル・カリフォルニア」を歌っていた。もう1人は黒のアウディを乗りこなし、ギターをたしなんでいた――。
マレーシア航空370便がインド洋に墜落してから2週間余りが経過し、当局は引き続き乗員に焦点を当てた調査を行っている。そして最大の謎として残っているのが、墜落までの最後の数時間に、機長と副操縦士がどんな行動をとっていたのかということだ。
陰謀説は枚挙にいとまがない。だが、機長の自宅にあった手作りフライトシミュレーターや他のコンピューターファイルを対象にした米連邦捜査局(FBI)の調査からは、不明の航空機に何があったのかを説明するような手がかりはまだ出てきていない。
ただ、友人らや同僚、家族の話などから、2人のパイロットの人物像がより完全な形で浮かび上がってきた。そこから分かったことは、ザハリエ機長とファリク副操縦士の2人のパイロットが、周囲にはまったく普通の人物に見えていたということだ。
ザハリエ機長を知る多くの同僚や同級生らにとって、目立つような人物でなかったという点で機長はまさに目立っていた。
マレーシア航空で30年間、ザハリエ機長と同僚だったボーイング777型機の元パイロット、ニク・ハズランさんは「(ザハリエ機長は)悪いやつではなかったし、目立ってもいなかった」と話す。
1961年にペナン州で生まれたザハリエ機長は比較的、恵まれた幼少時代を過ごした。友人らは、理科の成績が平均より上で、サッカーの試合をするのが好きで、バイクの修理をしていたザハリエ機長の子供の頃の姿を覚えている。
かつての学友でペナン・フリー・スクールの校長を務めるジャリル・サードさんは、ザハリエ機長はボーイスカウトの課題や学内のスポーツ、学校全体の行事などを好んでいたと話す。この学校はマレーシアが英国の植民地だった時代にできた学校でザハリエ機長の出身校でもある。
ハズランさんによると、ザハリエ機長は18歳の頃に、航空学校に合格したわずか12人の1人となった。応募者数は5000人に上った。
当時、マレーシアには航空学校がなかったため、ザハリエ機長はフィリピンで訓練を受けた。ハズランさんとはそこで出会った。2人は卒業後の1981年にマレーシア航空に入社し、ザハリエ機長はすぐに結婚した。
チーフパイロットになったハズランさんは、ザハリエ機長を含むほとんどのパイロットは一度も問題を起こしたことはなかったと言う。「ザハリエは理想的なパイロットだった。見えないパイロットだった」。
パイロット同士の雑談の中からも、人格的な問題を示唆するような話は決して出てこなかった。
ザハリエ一家はクアラルンプール郊外にあるゲート付きの高級住宅地に引っ越した。住宅価格が160万リンギット(約5000万円)を上回る地域だ。ソーシャルメディアへの投稿からは、数千ドルを投じて自宅に作ったフライトシミュレーターが自慢だった様子がうかがえる。リモコンの双発エンジン軽量ヘリコプターと一緒にザハリエ機長が写っている画像もある。
FBIはマレーシア政府から依頼を受け、フライトシミュレーターの分析調査を行っている。調査にはシミュレーターから削除されたデータの回復も含まれている。だが、こうした調査からは航空機がなぜ消えてしまったかを示す証拠は何も出てきていない。
ザハリエ機長はある時期から政治にも積極的に関心を示すようになり、2013年1月にはマレーシアの野党に入党した。
スバン地区を代表する野党人民正義党のシバラサ・ラシア議員はザハリエ機長の政治的な決断には何らおかしなところはないと指摘する。アンワル元副首相が与党を離れ、野党に入った後、多くのマレーシア人が変化を求めたからだという。アンワル氏はザハリエ機長の義理の親戚で、マレーシアでは犯罪である同性愛の罪に問われたことがある。2年間におよぶ裁判を経て、2012年に無罪になったが、アンワル氏と支持者らは政治的な意図が訴追の背景にあったと主張している。
だが、この無罪判決は370便が離陸する数時間前に覆されている。
ファリク副操縦士については、機長よりもキャリアが短く、ここ数年の彼を知っている人を探すのが難しかった。
1987年に5人兄弟の最初の子供として生まれ、クラスメートによると、学問に秀で、スポーツを楽しみ、ギターをたしなみ、絵と航空学への才能があったという。
2005年に18歳だったファリク副操縦士はマレーシア航空に応募し、航空学校へ登録した。2年後、彼は同航空にパイロット候補生として入社した。
ファリク副操縦士は最初にボーイング737型機の操縦を学んだ。マレーシア航空の機材の中で最も小さいタイプのものだ。その後、エアバスA330型機の操縦士に昇格した際、彼は自分への褒美として黒のアウディA4を購入した。
ファリク副操縦士はセランゴール州の州都シャーアラムの中流層が暮らす静かな住宅地の2階建てに両親とともに住んでいた。近所の人はファリク副操縦士について、親しみやすい、礼儀をわきまえた人だったが、地域の行事にはあまり参加しなかったと話す。
2011年12月にファリク副操縦士と同僚は女性の乗客を2人、航行中にコップピットに招き入れた。女性の1人がウォール・ストリート・ジャーナルや他のメディアに話したことで明らかになった。マレーシア航空は370便が消息を絶った3日後に明らかになったこの話に「衝撃」を受けたとし、ファリク副操縦士の過去の行為に関する調査はまだ終了していないと述べた。
ファリク副操縦士は最後のフライトの数カ月前に、ボーイング777型機の操縦士として配置転換され、上官の監督のもとで同機の操縦を5回経験していた。そのうちの1回は香港からクアラルンプールまでの運航で、CNNの記者がコックピット内の座席で、ファリク副操縦士が航空機を着陸させる様子を目撃した。上官はファリク副操縦士の操縦を「教科書通りの着陸」と表現した。
370便はファリク副操縦士が777型機の副操縦士として全航路を担当する初めてのフライトだった。
MARK MAGNIER and CHUN HAN WONG